秋空の下、最高の写真が撮れました。
グループホームを営む私のつぶやき。
障害を持つ長男、そして娘二人を育てることが出来ました。長男への思いは愛情というよりも課せられてしまった逃げられない呪縛のようなものだった。
毎日毎日、生きること、生活すること、3人の子ども達にご飯を食べさせることに必死で年子として生まれてきた次女を可愛がることも、その子が必要としていることをあたえられない、毎日毎日、ひと時ひと時が過ぎていく時に「ごめんね」「ごめんね」と謝りながらいい子にしていてくれている次女に頼むように祈るように毎日を送っていた日々が思い出されます。精一杯、次女にも愛情を尽くしてきたつもりだったけど、一番子供が求めていた優しく自分を抱きしめて欲しい時に長男を優先せざるを得なかった私を言葉にならない思いで、感情も育ってない心で言葉にならない思いが心の中には一杯だったと思う。自分だってお母さんに抱っこして欲しいのに。
その後、日が流れ貴女を育ててきたけれど、どこか埋まらないこの隙間みたいなもの、だけど埋めたい、だけど埋めようとすればするほど互いに苛立つ寂しくなる。わずかなことから誤解が生まれたりすれ違ったり、こんなに大事な娘なのにどうしてすれ違ってしまうの。でも私が貴女を深く愛していることは真実。長年、傷つき過ぎてしまった次女の心を癒せないまま、あの子は成長し結婚。
そして孫。
この孫は非常に癇の強い子でよく泣く子です。
だけど、気が付いたのはこの孫はあの時、次女が泣きたかった大泣きをこの子がしてくれているんだ、、。そう思った時、孫が愛しくて愛しくて仕方なくなり。この子を抱くことがあの時、思い切り抱くことのできなかった次女も合わせて抱いているんだと、と私は感動を覚えました。その時、20年以上の時を経てあの時出来なかったこと、ずっと願っていたことがこうしたことで叶ったんだとわかった瞬間、深い言葉にならない感動を覚えました。
「どうして、この子はこんなに泣くんだろう。」
この子が泣かない子だったらわかることは出来なかった。
だから、願いは20年以上の時が経って、こんな形で
叶った。叶う。 願って願って叶わなくてもやり続けたことからの今の思い。
ありがとう 涼成。